カエルの群れ The Frogs
森の中、カエルの群れが池を目指して移動しているときのことである。群れのうち二匹が、誤って深い窪みに落ちてしまった。運良く地上に残ったその他のカエル達は、窪みをぐるりと取り囲んで中を覗き込んだ。窪みの深さが尋常ではないことを見てとったカエル達は、不運にも窪みに落ちてしまった二匹が二度と地上には戻って来られないだろうと考え、そのように述べた。哀れな二匹のカエルは、仲間達の言葉には耳を貸さず窪みから脱出しようと必死に飛び跳ねていた。
地上のカエル達は飛び跳ねるのをやめるように言った。窪みはあまりにも深く、お前達は死んだも同然なのだ。窪みに落ちた二匹のうち一匹は、地上のカエル達の言葉を耳にして、全てをあきらめてしまった。そしてその場に崩れ落ち、あっけなく死んでしまった。
もう一匹は力の限り飛び跳ねることをやめようとはしなかった。カエルの群れは口々に叫んだーわざわざ苦しむ必要はない、無駄にあがいて苦痛を引き延ばすぐらいならあきらめて死を受け入れよ。群れが叫べば叫ぶほど、窪みの中のカエルはますます力強く飛び跳ね、とうとう窪みの外に脱出することに成功した。他のカエル達は口々に尋ねた。「なぜ飛び跳ね続けたのだ。我々が言ったことを聴かなかったのか?」
カエルは自分の耳は遠いのだ、と言った。そして飛び跳ねている間中、仲間達が何か叫んでいるのは知っていたが、それは自分を励ましているに違いないと思った、と言った。
この小咄に含まれる教えは以下の通りである。
舌は、時に生かしまた時に殺しもする力を秘めている。適切な時に放たれる適切な言葉は、弱っている者に力を与え、その者自身の力を引き出すことができる。
適切ではない言葉は、その者の生命すら奪ってしまう。あなたが道で出会う全てに対し、生命を与える言葉を以て語れ。
言葉には力がある。たった一言がどれほどまでの力を秘めているかを理解するのには、時の経過を待つ以外にはないこともある。言葉を発するならば誰しもが、誰かの力になる言葉を与えることは決して不可能ではない。
素晴らしきは、自分の限られた時間のうちわずかでも、誰かの生命となり得る言葉をつむぎ出す者である。
2007.09.
※語り手不詳。
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四人の男と仲介者 The Four Men and the Interpreter
四人の男が金貨を一枚与えられた。
一人めのペルシア人が言った。 「この金貨で、アングールを買うとしよう」
二人めのアラブ人が言った。 「いやいや、私はアイナブが欲しい。アイナブを買おう」
三人めのトルコ人が言った。 「アイナブなんてやめてくれ。私はウズュムを買いたい」
四人めのギリシア人が言った。 「私はスタフィルを買いたいのだが」
それぞれの呼び名の背後に何が控えているのかも知らず、四人の男は喧嘩を始めた。情報だけが先走りし、肝心の知識を得ていなかったためである。
そこへ賢い仲介者が現れ、四人を和解させた。仲介者は言った。 「あなた方四人全員の必要を満たして差し上げましょう。私を信頼して、一枚の金貨を預けて下さい。四つのものを、一つにして差し上げましょう」
賢い仲介者は、それぞれの呼び名の背後に控えているものについて知っていた。一枚の金貨で葡萄を買い、四人に与えた。それで初めて、四人は自分達が欲していたものが全く同一であったことを知った。
2007.09.
※「私たちの先生」メヴラーナ・ジェラールッディーン・ルーミーによる小咄。
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居眠りアミーン Sleepy Amin
昔、アミーンという名の善良な男がいた。彼は、やがて天国の住人となるにふさわしいとされる徳性を深めることに生涯の全てを費やした。貧しい者を見れば惜しみなく与え、親類縁者たちに対しては愛を注ぎ、人々に尽くした。よく耐え、よく忍び、また自分以外の者のために大きな犠牲を払い、想像を絶する困難をも乗り越えた。彼はまた、知識を求めて旅をした。謙虚さや見習うべき振る舞いの数々により、賢人として、また市民の良き模範としての彼の評判は東から西へ、また北から南へとこだまのように響き渡った。
それを忘れていない間はいつでも、アミーンはこれらの徳性を磨き上げることに熱心だった。だが彼には一つ欠点があった。それは彼がわずかに不注意であることだった。しかし彼自身は、その他全ての彼の良き徳性が、この小さな欠点を補ってくれるだろうと考えていた。目くじらを立てるほどではない、ほんのわずかな疵に過ぎないと思われた。
アミーンは睡眠を好んだ。彼が眠っている間は、知識を探しそれを理解する好機や、良き振る舞いの好機、謙虚さを披露する好機は全て彼の前を素通りしていった。彼もまた、不注意にもそれらが素通りしていることに気付かなかった。
そうこうしているうちに時も過ぎ、アミーンは死んだ。現世での人生を振り返り眺めつつ、アミーンは天国の門を目指して歩いて行った。天国の門に辿り着くと、門の前でアミーンは自分の良心に問うためしばし立ち止まった。彼は、自分が天国に入るのに十分ふさわしい資格を有しているものと確信した。
門は閉まっていた。「心せよ!門は百年に一度だけ開かれる」アミーンは門がそう叫ぶのを聴いた。アミーンは興奮したが、ともかくも心を落ち着かせ、その場に座して時が満ちるのを待つことにした。
彼の徳性なるものはかつて現世においては他者にもてはやされたものだった。しかしその徳性を、彼自身の成長のために働かせることについて彼は全く無関心だったし、またそれを働かせる可能性について思いを巡らせるということもなかった。
自己と向き合うということに不慣れなアミーンにとって、永遠とも思われるほどの時間が過ぎ去った。やがて甘い眠気が訪れた。アミーンはうとうととし、頭部をかしげた。
彼のまぶたがゆっくりと閉じたその瞬間、天国の門が開かれた。そしてアミーンのまぶたが開かれた次の瞬間には、天国の門は再び閉じられていたー全ての死者を目覚めさせるのに十分なほどの轟音を響かせながら。
2007.10.
※17世紀の修行者、アミール・ババが「この物語の真の語り手とは無名の誰かであるー真の教えとは、教わる者と教える者の間に立ちはだかる者なくして伝えられるものだからである」という前置きと共に語った物語。
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魔法の木馬 The Magic Horse
その王には二人の王子がいた。一人目の王子は、誰が見ても理解できるやり方で働き、そうすることで人々を助けた。二人目の王子は、誰が見ても夢想家としか思われず、そのため「怠け者」と呼ばれた。
一人目の王子は、その国内で大きな名声を得た。二人目の王子が得たものは、とある慎ましい大工が作り献上した木馬だけだった。二人目の王子は何の疑いもなく木馬にまたがり座ったが、それは実に不思議な木馬だった。乗り手の心が誠実である限り、その木馬は乗り手の望みの全てを叶えるのだった。
乗り手の心の赴くままに、ある日を境に木馬は若い王子もろとも姿を消した。それから長いこと、王子は帰らなかった。数々の冒険の後に、王子は光の国の美しい王女を連れて国へと帰還した。父王は王子が無事に戻ったことに大喜びし、魔法の木馬の物語に聞き入った。
魔法の木馬は、欲するならば誰でもが利用できるよう、その国の全ての人々に解放された。しかし誰の目にも木馬は使い古しのおもちゃにしか見えなかった。また多くの人々は、一人目の王子が与えたような、誰にでも分かりやすく眼に見える利益の方を好んだ。彼らは木馬の向こう側にあるもの、木馬のその先にある未知のものには思いも及ばなかったし、また関心もなかったーただの「おもちゃ」から得られる利益など何ひとつないと考えていたのである。
やがて父王は老いてこの世を去った。「おもちゃの木馬で遊ぶのが大好きな王子」は、この時も魔法の木馬にまたがって望み通り王の座につき、光の国の王女も女王の座についた。だが一般大衆はこの新しい王を軽蔑した。彼らにとっては、一人目の王子の「現実的」な行動の方がより好ましく、関心と興奮を覚えるのだった。
「怠け者の王子」の話に耳を貸さない限り、彼がどのようにして光の国の王女を得たのか私たちには知る由もないし、「魔法の木馬」の真に意味するところも知ることはないだろう。
また仮に私たちが「魔法の木馬」にまたがる機会を得たとしても、「魔法の木馬にまたがる」という表面上の行為のみが、私たちを真の目的地へと導くのではないことは明らかである。
2007.10.
※語り手不詳。インドのお話らしいが・・・
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