タスリマ・ナスリン。


  • モスクも寺院も Mosque, Temple
  • スイスの女の子 Girl From Switzerland
  • 鈴が鳴らない The Unrung Ring
  • イブ Eve, Oh Eve
  • 私の母 My Mother's Story

  • モスクも寺院も Mosque, Temple

    宗教のために建てられた館を全て粉々に打ち砕け
    寺院の、モスクの、グルドワラの、教会の、
    壁を破壊し灰になるまで焼き尽くせ
    焰は全てを分け隔てなく同じ灰にするだろう
    そして全てが壊されて燃え尽きた跡の大地に
    美しく咲き誇る花の園を
    よい匂いをあたりいっぱいにこぼす花々を育てよう
    子供たちの学びの庭を 学問の場を築こう

    人々に慈善を説くのなら
    礼拝堂を解放せよ 病院に、孤児院に、学校に、研究所に
    礼拝堂を明け渡せ 芸術に、美術に、科学に、学問に

    礼拝堂を解放せよ
    朝焼けの空と黄金色の稲畑に、
    広々とした大地に、そこを流れる川に、眠らずたゆたう海原に

    私たちは宗教に第二の名を与えよう
    人類愛という第二の名を


    2000.01.
    2002.11.改訳
    2003.03.改訳
    2007.08.改訳

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    スイスの女の子 Girl From Switzerland

    ディナー・パーティ、出席者たちはそれぞれ
    白ワインかシャンパンの入ったグラスを片手に。

    大きな体の男たちが入れ替わり立ち替わりやってきて
    挨拶と握手を求める。
    何人かは私の経験に興味を持って質問してくる、
    私がどうやって野蛮な原住民の巣穴を生き延びてきたのかーとか。

    サインをせがむ人もいれば、
    眼を丸く見開いて賞讃の視線をくれる人、
    手の甲にキスをくれる人もいれば、
    花束をくれる人も。

    そんなことの最中に、彼女が、
    金色の髪の彼女がやってきたのだった。

    彼女は手を伸ばしたりはしなかった。

    悲しい物語を聞きたいわけではない。
    ただほんの少しの間、あなたと一緒に泣きたかった。
    彼女はそう言ったのだった。

    そのとき私の眼の前に、
    故郷を流れるブラマプトラ河がありありと浮かんで見えた。
    河の流れは、心に築きあげた堤防を流し去った。

    私。

    私は東から、彼女は西から来た、
    そして痛みの深さは同じだった。
    私の肌は黒い、彼女は薔薇のように白い、
    そして悲しみの青さは同じだった。

    涙をこぼす前に、言葉で説明する必要もなかった。
    お互いの想いを、あまりにも良く知っていたから。


    2000.01.
    2002.11.改訳
    2007.08.改訳

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    鈴が鳴らない The Unrung Ring

    いろんなものが鳴ってる、
     からだの細胞だとか、
     足首に巻き付けた鈴だとか、踊るたびに
     手首の銀の腕輪だとか。

    モンスーンが降らせる雨も窓にあたって
     窓ガラスが音楽を鳴り響かせる。
     雲と雲とが衝突して
     稲妻を空いっぱいに鳴り響かせる。
     夢が鳴る、夢の中でだけ流れる時間にあわせて鳴り続ける、
     そして、浸蝕して空洞を作る、
     空っぽの胸の中で孤独が鳴ってる。

    あのひとの訪れを告げる
     扉にぶらさげたあの鈴だけが鳴らない。


    2002.11.
    2007.08.改訳

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    イブ Eve, Oh Eve

    イブが果実を食べないわけがないじゃない?
    伸ばせば届く手も指も、
    握りしめる手のひらだって持ってるのに。
    空っぽになれば飢える胃袋だって、
    渇きを覚える舌だって、
    愛するための心だって持ってるのに。

    どうしてイブは果実を食べたのか、って?
    イブが望みを押し殺して、
    今日も昨日と同じようにやり過ごして、
    同じ渇きに耐えて続けていればそれでいいの?
    楽園にアダムを居させ続けてあげるためだけに?

    いったい何をイブに求めているの?

    イブが果実を食べたから、
    ここには空と大地。

    彼女が食べたから。
    月、太陽、海、川。

    だって食べたから。
    樹々、草、葉の緑。


    2007.08.

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    私の母 My Mother's Story

    1
    母の両目は、最期には黄色くにごって卵の黄身のようになった。
    彼女の下腹はあっと言う間に水袋のように膨れ上がり、
    いつ破裂してもおかしくない。
    立ち上がることも座ることもできない、指さえも動かせない、
    彼女はただそこに横たわっていた。
    彼女は、最期にはもう母には見えなかった。
    親戚たちが毎朝毎晩やって来ては、母に心の準備をするようにと言った、
    準備をしろと言ったのだ、聖なる日である金曜日に死ねるように。
    「ラー・イラーハ・イッラッラーフ(神以外に神は無い)」
    そう唱えながら警告するのだった、
    ムンカルとナキールがやって来たときにお咎めのないように
    二人の天使は尋問のために使わされるのだから
    今まで通り部屋を掃除し、庭を掃き清め、
    片手でスープの鍋をかきまわし、片手でパンを焼き、
    そうしていれば御許しがあるだろう、死の直前まで忙しく働いていれば。

    今や母の体の上では、飢餓が踊り狂い彼女の最期の体力を奪っていく。
    眼球はまぶたから飛び出し、舌は渇き切り、肺の中からは空気が盗まれる、
    息をしようとあえぐたびに、彼女の額と眉が苦痛に歪む。
    天国の預言者に伝えておくれ、私のために祈っておくれ。
    家中の者が口々にそう叫び、救いをもとめ争って彼女にすがりつく。
    誰しもが、ジャンナトゥル・フィルダウスー最高の楽園ーに、
    彼女が迎え入れられると信じて疑わなかった。
    たった今にもこの世を去って、母は預言者ムハンマドの歓待を受け、
    互いの手に手を重ねて楽園の庭を散歩して、素敵な午後を過ごすのだろう、
    それから二人で、鳥の肉と冷えた葡萄酒の昼食を分け合って食べるのだ。
    私の母には、少女の頃からずっと長いこと見続けてきた夢があった。
    預言者と二人きりで楽園の庭を散歩すること、それが彼女の夢だった。
    だが今まさにこの世を旅立つその瞬間に、あろうことか母はためらった。

    肉体を脱ぎ捨てあの世へと旅立つことよりもなお彼女が欲したのは、
    私のために米を炊き魚を料理することだった。

    おまえに食べさせてやりたい、
    大きな魚をまるごとフライにして、赤ジャガイモとソースを添えて。

    庭の南側の、片隅に育った若いココナッツの実を食べさせたがった。
    額に乱れかかった私の髪を気にして、団扇を使いたがった。
    私のベッドのシーツを洗いたてのものと替えたがった。
    私のサリーを新調し、それに刺繍をしたがった。
    中庭を裸足で散歩して、伸び盛りのグアバに竹の添え木を作ってやり、
    ハシュヌヘナの花咲く庭に座って歌を歌うー

    「月がこんなに輝くなんて、夜がこんなに美しいなんて」

    最期の最期に、彼女は死をひどく恐れた。

    2
    私は知っている、輪廻転生や最期の審判の日なんてないってことを。
    天国も、鳥の肉も葡萄酒も、楽園の処女も、
    そんなものは全て狂信者たちが仕掛けた罠に過ぎない。
    母は天国には行かない、誰かと楽園の庭を散歩することもない。
    ずる賢い狐が、墓を掘り起こして彼女の屍を貪るのだろう。
    彼女は白い骨になって、風に吹かれて転がるのだろう。

    ああ
    それでもなお私は信じたい

    七つの天の上でもどこでも良いから
    どこか、どこかはるか遠い空の彼方
    とてつもなく素敵で素晴らしい楽園に母が居ると
    眼には見えない不思議の橋を無事に渡って天国に辿り着いていると
    憧れ続けた預言者ムハンマドが喜んで母を出迎えていると
    ハンサムな預言者は優しく彼女を包み込んで、
    彼の胸に抱き寄せられた母は幸せのあまりとろけそうになって

    彼女は泉で水浴びをしたがるだろう
    彼女は夜明けまで踊りたがるだろう
    跳んだり、はねたりしたがるだろう
    生きている間に禁じられたことの全てを試したがるだろう
    鳥の肉は金の皿に載せられて彼女の前に差し出されるだろう
    彼女はそれを食べるのだろう、胃袋ではなく心を満たすために

    彼女に会うためにアッラーは自ら庭へと出向くだろう
    そして彼女の髪に赤い花を飾り、情熱を込めて彼女にくちづけするだろう

    彼女はやわらかく甘い羽毛の寝台で眠るだろう
    七百人の楽園の乙女たちが彼女を扇であおぐだろう
    美しい天使たちが銀の水差しに冷たい水を用意して彼女にかしずくだろう

    彼女は心の底からの笑い声をあげるだろう
    彼女の全身から幸福の光がこぼれおちるだろう
    そして彼女はこの世の悲しみに満ちた一生を
    ようやく永遠に忘れ去ることができるのだろう

    私は無神論者にはならないだろうー
    どこかに天国があると思うだけで、これほど救われるのだから。


    2007.08.

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