海を見に行く
海のなかにはほんとうにさまざまな種類の生物がいる。
なかには鯨みたいに、一度陸に揚がってみたものの、
何を考えたか海に舞い戻ってきた「出戻り」もいる。
この星のいちばん最初の生命が誕生したのもやっぱり海だったりする。
細菌や藻類から始まって、それが少しづつ進化して、
魚類になって、両生類になって、は虫類になって、鳥類になって、
・・・と、言うのは、小学校の教科書で習ったこと。
ひそやかで、それでいて隠し切れなかった、「生命」への愛情と熱情。
ひんやりと冷たくて、くらくらするほど甘い「根源」の記憶。
世界中を旅し、大地と海に散らばる数々の証拠を観察し、
何通もの手紙を書き、彼はその仕事を成し遂げた。
それがダーウィンの「種の起源」だ。
ダーウィン自身は、
「進化」ということばを用いることに抵抗感を持っていた。
「劣ったものが優れたものに変化する」
というように解釈されることを恐れたからだ。
彼はあくまでも「自然選択論者」だった。
ダーウィン自身は、
それ(=自然選択)に特定の目的や方向性などを付与してはいない。
のちにスピノザは、「神とは自然そのものである」と言った。
ひとの体重のおよそ55ー60%までは水分で占められている。
水分、といってもそれは水道水みたいなものではなくて、
ナトリウムとか、マグネシウムとか、カリウムとか、
そんな風に呼ばれる色々な元素を含んでいる。
成分それぞれの比率は違っても、
含まれている元素は海水とほぼ一致する。
進化の法則に従って言えば、
生命は周囲の環境を利用して進化し続ける以外に方法がなかったわけで。
海で生まれた生命は、だから海にあるものを材料にして、
少しづつ少しづつ出来上がってきた、というわけだ。
だとすれば、
私のからだをかたち作る細胞のひとつひとつには、
太古の海が封じ込められていることになる。
かつて地球上に存在した種は、
今ではそのほとんどが絶滅している。
生物学者に言わせると、
人間とて生物学の法則からすれば、
いつかは絶滅する種のひとつに過ぎない。
私は、当然の権利としてこの地球上に生きているわけでもなければ、
これから先のことだって保障されているわけでもない。
真実を求め続けた敬虔な信仰者でもあったダーウィン。
傲慢の埃にまみれた権威の衣の裾を引きずる宗教者達の最後の呪縛から、
次代ーつまり私達の世代ーを永遠に解放した。
地球上におけるホモ・サピエンスの地位は、
決して当然のものなどではないという倫理感と、
あらゆる生命に対する連帯感。
被創造物へのありったけの愛を込めて記された「種の起源」から、
その「水」を汲み取らずには、何が「楽園」かは知る由もない。
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