コーラン解釈の試み
夜に読む章
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3月最後のにちようびは、電車に乗って青梅までふらふら。 TOTANという名の雑貨屋さんに立ち寄って、店主のAKANE嬢と作戦会議(?)。 以前から欲しかったランプを連れて帰ってきました。 ラクダの皮で出来ているという、パキスタン製のもの。 一番最初にこのランプの存在を教えてくれたのは、このお店の近辺で働いている友人で、仕事中にこの店の前を通って偶然目にしたのだそうです。 「たぶんあれアラビア語だと思うんだけど、見に行ってみない?」 と誘われてふらふら出かけていったのが去年のことで、書かれていたのは、確かに立派なアラビア語のコーランでした。決してきれいな字とは言えないのですが、色合いや風合い、そして何よりもこれを作った遠い国の職人さんが、この章とランプとを組み合わせたことがすてきだ、と思いました。 書かれているのはコーラン64章・at-Taghabun(アッ・タガーブン:「騙し合い」)と名付けられた章です。 →こちらで読める(大川周明訳) この章は、Musabbihat(ムサッビハ:讃える章)と呼ばれる章のひとつです。バスマラに続く最初の一節が、称賛・賛美、あるいは驚き・不思議、Amazing、Miracle、そうした感覚を表現する単語で始まるのでそう呼ばれて、とても大事にされています。そういう感覚それ自体が非常に貴重であり、実際にそうした感覚を持続させることが重要なことだからです。 at -Taghabunを例に取ると、そこに含まれる全18節のうち、神様について、その愛について知らせる冒頭の1-4節までがとても大切な節となります。 天国と地獄、信者と不信者、善行と悪行、現世と来世、…いわゆる「宗教」と呼ばれるものの、全てにあてはまりそうなキーワードが、その後に続きます。宗教には、守らなくてはならない一線があるのは確かなことで、もちろんそれを守るのも、大事なことではあります。 けれどそれよりも何よりも、もっともっと大事なことがある。 樹を育てたかったら、良い土に、 太陽の光と、水とをたっぷり与えてあげる。 愛すること、信じることの根が、 しっかりとしていないうちは樹は育ちません。 何をしてはいけない・何をしなくてはいけない、 と、いうような枝葉の部分を、 無理に伸ばそうとしてみても、 根がしっかりと張っていなければ、 ほんの少し風が吹いただけで、 ひとたまりもなく倒れてしまう。 宗教の、「宗教」以前の、そういう当たり前に大切なこと、あまりにも当たり前過ぎて、つい忘れてしまいがちなことを、思い出させるために「讃える章」はあります。 64章のat-Taghabunの他には、17章、57章、59章、61章、62章、それから87章が「讃える章」にあたります。預言者ムハンマドは、「『讃える章』には、1000節にも勝る1節がある」と、夜の眠りに就く前に好んでそれらを読んだ、という伝承があって、だからランプには、この章はとてもよく似合っていると思います。 17章は「夜の旅」章と名付けられていて、それはこんなふうに始まります。
57章、59、61、62、64章は全て
で始まり、そして一番最後の87章・至高者章は、
主の御名、それをどのように呼べばよいのかについては、最初の17章に答えがある。
主については、ちょうど100年ほど前のあるムスリムが、こんなふうに説明しています。
2005.03. |